柳ヶ瀬舞の日記

日記などの備忘録

記憶

山田詠美さんの『私のことだま漂流記』(講談社)書影

私の記憶では、エイミーは確か二回ほど書いている。
小学生当時のいじめっ子のフルネームを空港で聞き、その場に駆けつけようとしたことを。エッセイと昨年11月に刊行された『私のことだま漂流記』に書いていたと記憶している。

忘却は神さまが与えたもうた人間の技術(クラフト)である、ということを私は全力で否定したい。私は忘れないことこそ技巧であるとおもっている。

 

私のいじめは大人のそれと大差がなかった。上履きを隠されたりしたが、「おばさん」と呼ばれるようになってから「まだこんなことをするのか」と驚くことが多い。

私は中学時代、部活での怪我で2回ほど入院・手術をしていて「特別扱い」をされていた。「特別扱い」は欠席の考慮や体育の授業の免除などで、もう一方の「特別扱い」は陰湿にいじめの対象になっていい、という教師たちの私に対するいじめの黙認だった。

 

AさんとTさんのことはよく覚えている。中学3年生のときのことだった。
AさんとTさんは私より勉強が良くできる子で、埼玉でいちばん有名で東大進学率の高い女子校を受ける予定だった。AさんとTさんは私と仲良くしている「ふり」をしようとしていた。内申点を稼ぐためだ。いじめられっ子に手を差し伸べる慈しみの心を持つ生徒として評価されたかったらしい。
怒髪衝天とはこのことかな、私はキレた思い出がある。AさんとTさんはいじめの主犯であった。大人になった今思うと、AさんもTさんも大人から見たら下心はスケスケだろうに……とこっちが羞恥心を抱いてしまう。

その後、AさんとTさんには家庭科の課題を欠席という「特別扱い」カードを切って、またいじめの渦中に戻ることになったが、内申点ごときで私を利用しようなんぞ、いじめにあった方がマシと思っていたのをよく覚えている。

私もAさんとTさんの名前をフルネームで漢字を覚えている。
Tさんは面接での対応で乙武洋匡さんの『五体不満足』を感銘を受けた本として挙げていたことも覚えている。スケスケで恥ずかしくないのか……という記憶がある。

その後の彼女たちの話は興味もない。結婚していようと猿が猿を産んでいても不思議はない(猿に失礼ですね。ごめんなさい)。

私は人間はすこし野蛮なくらいがちょうどいいと思っている。でも超えてはいけない一線が、自分のために他人様を利用することが悪いことだと知っている。

大人になったらもう少し洗練された人間たちに出会えるかと思ったけれど、多くの人間は中学時代のAさんとTさんと性根が変わらない。