柳ヶ瀬舞の日記

日記などの備忘録

覚書・プロフェッショナルと努力

最近文章を書くプロフェッショナルについて考えている。文章を書くまたは小説のプロフェッショナルとは……と本気で悩んでいます。
自分の努力が足らないから自分自身をプロフェッショナルとして認識していないというのが結論です。

・SFPWの先輩編集に「プロフェッショナルとしての意識が足りない」と言われ、その通りでございます、申し訳ございませんとしか言えなかった。

・「自分は作品の好き嫌いはあまり公にしないようにしているのです」という作家さんに職人的小説家で格好いいなあと憧れを持った。
上記の2点がプロフェッショナルとして気になるきっかけとなった発言です。
2点目に関してはプロフェッショナルが「作品の好き嫌い」を公にするか否かは、作家のセルフブランディングの結果でしないとは思う。私はマンガ批評も書かせてもらっているし、好きなものは好きと伝えたいという強い意志がある。一種の素直さみたいなものは私の大事な要素であると思っている。
「プロフェッショナルなら素直にポンポン書けばいいわけではない」というのもまた事実。先輩編集に怒られても仕方のないことだ。

問題なのは「プロフェッショナル」という概念が私の腑に落ちていないというところ。
自分のなかで柳ヶ瀬舞がプロの小説家としてイコールで繋がっていないところだと思う。
この問題解決するには自分が努力する以外なくない? って思いました。
生きる上でできることは本当に限られている。だいたいの物事は「がんばる」「あきらめる」「逃げる」の3択で構成されている。
自分と自分がプロフェッショナルであるという文脈に違和を感じる。それならば言葉を適切に運用して出来事①「自分」と出来事②「自分がプロフェッショナルである」という出来事の間をひたすら言葉と実績で埋めていくしか手段はない。私は「がんばる」という選択肢を選んだ。それに後悔は全くない。
じっさい私はいまありがたいことに「恵まれた環境」に身を置いている。「恵まれた環境」とは努力したらその努力ぶん他人に評価してもらえる環境だ。私の一生を通してここまで恵まれた環境はない。小中高校は努力が否定されるどころかマイナスに作用していたことを考えれば、大人になって「恵まれた環境」で幸せを感じる。でも、それだけではいけない。
つぎは私が誰かの「恵まれた環境」を作ることが大事だと思う。

努力して解決する問題なら、努力してチャレンジし続けることが大事だ。入院中に目標ができたのでそれ向かって邁進していきたい。