11月20日からの入院は今日、12月12日に退院する。3週間と1日の滞在だった。前回の入院は9月10日に退院だったので約2か月、現実世界と向きあった。この2か月を「たった2か月」と取るか「2か月も」と取るか難しい。その間にいると思う。
今回の入院で主治医のS先生の開口一番は「うまくいかなかったの?」だった。うまくできなかった。だから半年待たずに病院に逃げてきた。ただ逃げなくてはならなかった。そして私はなにから逃げているか知っている。それは決してここには書かないけれど。
入院生活を無為に過ごしたつもりはない。向き合うべき課題に取り組めたし、いろんなことを制限した。今回一番つらかったこと入院中は読書をしないことだった。読書は多くを慰めて、癒してきた。その行為を禁止したのだからストレスは半端なものではなかった。今回の入院で私は私自身を慰め、癒してはいけなかった。どこまでも孤独にならなければならなかった。自由になるために、孤独を体に覚えさせなくてはいけなかった。たぶんこれからの現実もまた孤独になるだろう。その訓練でもあった。そしてもちろんお見舞い客もいなかった。ただひとり。逃げるぶん、多くを学ぶ必要があった。ストイックな闘病生活を送った。
後半はPCも封印した。毎朝PCに伝えたいことをメモして、回診の際にそれを読み上げることをしていた。けれど今回、PCを使わず先生と毎日向きあった。考えながらうまく喋れない。短く端的に伝えることにPCで文章を書いて伝えることは合理的だった。けれどいつの間にかPCがなければ伝えられなくなっていた。それはとても悪い状況だ。助けを借りず自分のことを客観的に伝えなくてはならなかった。決して楽な作業ではなかった。
そしてとにかくいろんなことを、自分を取り巻きまつわる多くのことを、考えた。他人について、言葉について、暴力について、幸せについて。どれも本質的ではないことだと思う。もっと具体的な内容を話すべきだったかもしれない。けれどそんなことは外来診察でいくらでも話せる。抽象的でも拙くても自分のことを考えなくてはいけなかった。
入院中完全な孤独はなかった。病院で知り合ったひとたちには励まされた。病院での出会いやコミュニケーションは何よりも必要なことだった。違う環境で、知らない人と時間を分かち合うこと。それは入院中やるべきことのひとつだった。
私は多くを学んだ。もう逃げる必要はない。だから私は帰るべきところへ帰ろうと思う。