自分がいちばん悲惨な時代を過ごしたのは10代だったと思う。思春期に体験してはならない経験をたくさんしたと思う。その記憶は40代になってもよく思い出せる。
14歳のとき初めて入院を経験した。いま考えれば手術を受けるまで耐えるべきことではなかった。無駄な入院だったと思う。麻酔ももちろん初めてで、手術が終わった夜はうなされたのもよく覚えている。T字帯から下着に履き替える必要があったけれど、ギプスが邪魔で足をうまく通せなかった。そのとき看護師が下着を無理やり引き上げた。あのときの屈辱はたぶん一生忘れないと思う。この出来事を文字にすること自体いま初めてだと思う。ずっと打ちのめされていた。母以外私のことを労わった人間はだれ一人、ほんとうにひとりも、いなかった。それが何よりも悲しいことだった。
幸い勉強だけはできた。教師にテストの点数操作もされたけれど、あまり意味がなかったと思う。100点を99点にするくらいしか教師にできることはなかった。幼稚園児から先生らしい先生には会ったことがない。高校は私立の進学校の難関大合格を目指すコースに合格した。けれど中学生のときすでに燃え尽きていた。それでも立っていたからあの頃の自分を褒めたい。誰に褒められなくても私は死なないようにしていた。高校時代ほど死に近かったときはない。ODは3回したし、切れないハサミで何回も髪で切った。このとき病院に行っていたら人生は変わっていたのかもしれない。
それでも私は、そのときのなかに幸せを見出さなければいけない。中学時代にまったくないとしたら、せめて高校時代に幸運を見出さなければいけない。
高校生活は2年生以降は楽しかった。難関大合格コースからあぶれたけれど、私大理系進学コースでの勉強は楽しかった。週9時間数学の時間があり、ひたすら数式を解いていた。その時間はなによりも穏やかな時間だった。高校時代の友人とはいまも友情が続いている。そんな友人とともに一緒にカラオケによく行った。行く前には駅で靴下を学校指定のものから履き替えた。私はヴィヴィアンウエストウッドの紺のハイソックスを選んだ。ダサい制服を自分のアレンジでいかにおしゃれにみせるか腐心していた。その恰好で渋谷で映画を観ることが好きだった。あのころ観た映画は1本1本が大切な映画だ。
悲しいことが多かった。今もとても悲しい。だからこそ私は幸せにならなければならない。10代のころの自分のために、いまの自分のためにも。それは私の義務だ。